ホッピーの知識
ホッピー / 概要 / 歴史 / 商品 / 飲み方 / エピソード / 脚注 / 外部リンク
歴史
研究開発〜誕生〜代用品人気
ビールが高級品扱いだった大正時代|大正末期に代用品としての「ノンアルコールビール」(ノンビア)が流行|ブームとなった港区コミュニティっ情報ネット「Kissポート」(Kissポート財団オフィシャルサイト) > 港区スポットガイド > 港区探訪:はじめて物語(4)ホッピーより。ただ、技術や材料の不足で質の悪い物が多く流通しており、当時赤坂 (東京都港区)|赤坂でラムネ (清涼飲料)|ラムネ・サイダー等の清涼飲料水製造販売「秀水舎」を営んでいた創業者の石渡秀の方に「ノンビアを作って欲しい」との要望が寄せられるようになった。しかし、石渡は質の良い「本物のノンビア」を作りたい一心から、製造に使用する材料が揃わずにスタートする事には難色を示していた。1926年(大正15年)、長野県野沢温泉村|野沢に清涼飲料会社を設立し別工場を構えた際、その地に当時入手困難であったホップの畑があるのを偶然発見、それにより材料の入手・確保に目処が立った事もあり「本物のノンビアが作れる」とノンアルコールビールの研究開発に着手する。昭和に入ると次第に戦時色が濃くなり、戦禍を逃れる為に拠点を一度赤坂から野沢に移して開発を続けた。そして終戦、戦禍を逃れた製造設備をそれと同時に野沢から赤坂に戻し、開発が完了していたホッピーの製造を開始し、1948年7月15日ホッピー発売。発売当時、新橋で販売したところ、ビールが高嶺の花で有ったことから、焼酎をホッピーで割る飲み方が街で自然と生まれ、ビールの代用品の「焼酎割飲料」として爆発的に売れ「生よりうまいホッピービア」と言われる事もあったホッピービバレッジ オフィシャルサイト > 会社情報 > ご挨拶より。1956年(昭和31年)ホッピーの製造特許を取得。1960年(昭和35年)麦酒様清涼飲料水のもろみ製造免許を取得。
工場移転〜第一次全盛期
1970年(昭和45年)、ホッピーの製造をしている赤坂工場付近の都市開発が進んだ為そちらを閉鎖し、新工場は事業規模拡大、造設備装置の近代化、水質面等の理由から調布市に移転したホッピービバレッジ オフィシャルサイト > 会社情報 > 沿革より。その後、ドイツ産直輸入ホップの使用(1977年)等リニューアルを行い、昭和50年代に東京の街で再度大きな人気を得て1981年(昭和56年)には1日に20万本を売るまでに成長し、その時期の売り上げのピークを迎えたVenture Link「8月号特集 ホッピービバレッジ 東京都港区」2007年10月25日更新より。しかし、1982年(昭和57年)に博水社が発売した柑橘系炭酸飲料「サワー|ハイサワー」が爆発的に売れ、焼酎の割り材の需要が柑橘系等の炭酸飲料に大きく移行していった事や他の商品に押され、ホッピーは長い低迷期に入る。
低迷期
1980年代中盤、社長はホッピーが売れない状況は仕方が無いと割り切り、原点である「品質へのこだわり」「品質向上」を掲げ、同社が持っていた技術や設備や酵母等が全体的に陳腐化していた為、大幅な刷新を図った。濾過機をビール製造仕様の本格的なタイプへ変更、麦芽やホップを煮沸して麦汁を取る機械の近代化(1985年)、大手ビールメーカーから優秀な技術者をスカウト、その技術者に酵母が衰退化している事を指摘され、ドイツのミュンヘン大学にある何千種類の酵母のなかから、ホッピーに合ったもの購入(1985年)、等の取り組みを行ったことにより、ホッピーの品質は格段に向上した。しかし、その様な努力もホッピーの売上向上には中々現れず、ホッピーの低迷期は1990年代後半まで続き、その間はサワー用の炭酸飲料や1995年に製造販売を始めた地ビールが主軸となって同社を支えてきた。1990年代中盤以降、同社はコクカ飲料株式会社をホッピービバレッジ株式会社に社名変更するなど、ブランドイメージを変えようとする試みを始めたNB online(日経ビジネス)2006年8月7日掲載 変わらないからこそブームに乗れた古き良きかわいいブランド 成長企業に学ぶブランド構築法 ケース【3】ホッピーより。1998年にマーケティングリサーチ|市場調査を行なったところ「ホッピー」ブランドの認知度は非常に高かったが、その反面若い世代から集まったイメージは非常に悪い結果が出た。そのマイナスのイメージを払拭する為に、1999年に新商品企画、若い世代向けとして、予めホッピーを焼酎で割って緑色のボトルに入れた「ホッピーハイ」を発売した。折りしも当時は低価格チューハイ#容器入りチューハイ|缶チューハイや発泡酒の人気が盛り上がってきた時期であった事から期待された商品であったが、マーケティング戦略の甘さや企業規模的に巨額の宣伝費を掛ける事も出来ない事情から知名度も上がらず売上も大きく低迷、1000万円の赤字を出し結果的にホッピーハイは失敗に終わったドリームゲート コラム記事 Vol.19「ホッピー」の売上げを3倍にした女性副社長より。
復調期〜現在
新商品に失敗した同社はインターネットに着目した。1990年代後半にホッピーのファンサイトが誕生していたり、「ホッピーはどこで買えるのか?」「ホッピーはどこで飲めるのか?」という問い合わせが増えており、ホッピーの潜在的需要があると感じ、低予算で効果が高い方法としてインターネットを活用した戦略を展開し、1999年に当時としては先進的であったコーポレートサイト、ホッピービバレッジ公式サイトを開設したSix Apart 2006年11月07日 ホッピービバレッジ株式会社がMovable Typeを使う理由より。1990年代後半〜2000年代初盤に社内改革を行い成果が出てきた事阪急コミュニケーションズ「社長が変われば会社は変わる!」 ISBN 978-4-484-07221-0より、飲酒運転の厳罰化によりノンアルコールビールが見直された事、低カロリー・低糖質・プリン体ゼロによる健康志向へのマッチ、2004年以降のレトロブーム、ホッピーの広告を全面にまとった貨物自動車|トラック「ホピトラ」を都心に走らせる広告戦略、ホッピーに対して新しいイメージが形成された事、等の要因や背景もあってホッピーの売上は回復、更に上昇し2003年以降4年連続で過去最高の売上高を更新している。また。それまで東京近辺に留まっていた市場も東京に赴任してホッピーになじんだ者やインターネットでの情報によって関西や他地方にも拡大しつつある。
黒ホッピー (香ばしさの中に、苦みと甘みが調和する) 55ホッピー (ホッピー発売55年を記念して作られた商品) ホッピー330 (家庭用に発売されたワンウェイボトル商品) ホッピーブラック (家庭用に発売された、中身は黒ホッピーと同じ) ホッピーハイ(1999年に発売された、予めホッピーを焼酎で割って緑色のボトルに入れた商品)飲み方 ホッピー5:...
